2018.09.14

○Cross Road
第85回 思考の扉を開く 文/吉田 良治

 4年前の9月9日朝日新聞が、当時阪神タイガースで活躍していたマット・マートンの特集記事“文武両道で人生は輝く/野球漬け、教育をおろそかにしていないか”を掲載しました。野球に限らず日本のスポーツ界は、スポーツで活躍するためには、全てを犠牲にしてその競技一筋に生きることを美徳としてきました。大学や高校のスポーツでも学業を疎かにし、スポーツだけすればいいという文化が、今も根深く続いています。日本で6年間プレーしてマートンが感じたことは、日本のプレーヤーたちがスポーツ以外何もしてこなかったことで、引退後の生活に不安を抱えていることでした。実際日本プロ野球機構(NPB)が秋に実施している若手選手育成のフェニックスリーグで、毎年セカンドキャリアの意識調査をしていますが、平均して7割の選手が引退後の人生に不安を持っているデータが出ています。朝日新聞の記事のタイトル“野球漬け、教育をおろそかにしていないか”という問いかけは的を得ているといえます。
 2年前の9月に知人を介して、日本大学第三高等学校野球部の生徒が、私に連絡をしてこられました。ジョージア工科大学のトータル・パーソン・プログラムについて詳しく知りたい、とのことでした。日本でこのプログラムについて詳しい人を探し、私の名前を見つけたとのこと。なぜジョージア工科大学のトータル・パーソン・プログラムが知りたいのか、色々話をしていると、4年前朝日新聞に掲載されたマートンの特集記事を読まれたとのことでした。この記事でマートンが文武両道の重要性を強調した真意、母校のジョージア工科大学で実践した、トータル・パーソン・プログラムのことを例にして、アスリートは学生時代どんな生き方を身につけるべきか、その一つの術として、このプログラムのことを共有しました。
 この方は高校1年生の時、練習試合でイレギュラーバウンドを顔面に受け、眼底骨折を患いました。極端な視力低下に一時選手生命の危機にあったそうです。その時彼の父親から問われたことは、息子の人生から野球をとったら何が残るのか、ということでした。怪我を治してプロ野球選手になる!と強がったそうですが、視力の回復が芳しくなく、真剣にセカンドキャリアを考えなければいけない、と思った時、マートンの記事に出会ったそうです。
 特集記事の最後はこんな一文で締めくくられていました、“バッターボックスから出てみませんか”です。つまり、野球一筋ではなくもっと広い世界で生きるために、思考の扉を開きましょうということです。そのマートンの一言でこの高校球児は、野球だけの生活から学業も真剣に取り組み、学業成績はトップレベルの成績を上げるに至りました。現在は法政大学に進学して野球部に所属しながら、学業との両立は勿論、野球を引退した後の人生のことも真剣に考え取り組んでいるそうです。彼にとってマートンの記事との出会いが、野球だけの生活、狭い世界の思考の扉を開くきっかけになったのです。
 昨年朝日新聞がこの元高校球児のことを取り上げました。記事のタイトルは“野球の次は広かった”でした。つまりマートンのバッターボックスから出てみませんかという問いかけに、自分の意志でバッターボックスから出たとき、彼は目の前に広い世界があるのだ、と気づいたのです。
 狭い世界の思考はアスリートのセカンドキャリアだけでなく、様々なリスクにもつながっています。今日本で起こっている不祥事の多くも、狭い世界の思考と根っこで繋がっています。現役のアスリートは勿論、指導者、そして競技団体に携わる方々など、スポーツ界の関係者は一度思考の扉を開てみてはいかがでしょう!(つづく)

吉田良治さんBlog