2018.11.16

2018年学習の行き先 宿題について考える

 昨今、夏休みの宿題代行業者への依頼が増加しており、社会問題となっています。このことについて、宿題の存在意義についてまで議論が発展しています。
 今夏には、インターネット上のフリーマーケットサイトやオークションサイトで自由研究や読書感想文などの宿題の完成品が出品されている事態を受け、文部科学省がそれらの運営会社数社と、宿題代行の売買禁止などを盛り込んだ合意文書を公表しました。この合意文書に盛り込まれた内容は、大きく次の3つです。
  
・宿題代行に関する役務提供に加え、宿題の完成品の売買についても禁止すること。
  
・宿題代行に関する出品は、速やかに削除すること。
  
・各学校が家庭と連携し、自分で宿題に取り組むことの大切さを周知すること。
 
 つまり、文部科学省としては、宿題は自力で取り組むことが大切であり、宿題の役務代行や完成品の売買は原則認めない、としているということです。
 それでは、なぜ宿題はしなくてはいけないのでしょうか。宿題の意義として一般的にいわれるのは、「反復練習における学習内容の定着」、「家庭での学習習慣をつける」ことの2点です。
 宿題として多く出されるものの中に、漢字練習、計算練習があります。これには、授業で身につけた方法を授業以外の時間に「反復練習」をすることで身につけさせようというねらいがあります。
 また、「宿題を出されないと家で何を勉強したらいいかわからない。」という声もありますが、家庭学習において、やるべき内容を宿題が示していると考えることができます。
 しかしその一方で、「宿題は本当に必要なのか。」という懐疑的な意見も少なからず存在します。宿題に関するある研究では、小学生が宿題をやることと成績向上に関連性は見つからず、中学生でも宿題が成績を向上させたというデータを得ることは少ない、とする結果も公表されています。(この研究では、宿題によって得られる利益は年齢に依存しており、高校生になると、宿題で学術的な利益を得られるようになるとしています。)
 宿題と成績の関連についてはさらなる研究を待つ必要がありますが、それでも、家庭で宿題をすることの意義は失われないと考えられます。それは、先に述べた通り、宿題のねらいは成績を上げることだけではないからです。特に夏休みの宿題については、家庭での学習習慣をつけること(「望ましい生活習慣の形成」)が大きな目的の1つとなっています。
 例えば、夏休みの宿題を代行業者に委託した場合、そのことから子どもは何を学ぶのでしょうか。「お金を払えば解決できる。」、「親がなんとかしてくれる。」、「真面目にやることに意味はない。」といった、成長する上でネガティブなことを学んでしまうのではないでしょうか。宿題を代行業者に委託してしまうことで、子どもの成長に大きな弊害を生んでしまいかねないのです。(場合によっては、代行業者に委託しなくとも、夏休みが終わる直前に親に手伝ってもらいながら宿題を終わらせるということもあるかもしれません。それでも、「計画の大切さ」、「先延ばししたことへの反省」、「最後には自力で解決しなくてはいけないということ」など、子どもが学ぶことは大いにあるといえます。)たしかに宿題は、子どもへのプレッシャー、親への負担を増長させる存在となりかねませんが、だからといって、宿題はやらなくていい、代行業者にお願いしてもよいという論法にはなりえません。子どもが自ら計画性を持ち、家庭において学習を進める重要性に意義を見出さなくてはいけないのではないのでしょうか。
 しかしその一方で、宿題が親子のストレスの原因となっているという多くのケースも、看過できない事態となっています。このことは、子どもの学習のペースなどを無視した画一的な内容が宿題として出されることが、原因の1つといえます。学校側、つまり宿題を出す先生が宿題の内容について検討し、子ども1人1人が達成感を味わえるように工夫をすることが大切であるといえます。(文/学林舎編集部)