2019.08.23

2019年 教育の行き先 できない、わからないというマインドを親はどう超えるか

 「どうせやってもできない」「勉強なんてやっても無駄」……勉強に対するネガティブな発言を耳にしたことはありませんか?日々の勉強に疲れた子どもであれば、一度や二度、口にすることがあるような言葉ですが、子どもたちのそばにいる大人は、このような発言が飛び出してきたときに言下に注意するのではなく、ネガティブな発言に至った原因を考えてあげることが大切です。なぜなら、このような発言は、「わからない」という小さなつまずきが積み重なってしまった結果であることが多いからです。
 榎本弘明氏や阿部謹也氏が指摘しているように、「世間」という枠組みをもつ日本人は、社会生活のなかで他者の目(評価)を過剰に意識するといわれており、このことは多くの人がうなずけるのではないでしょうか。他者の目を意識するということは、学校という教育現場でも例外ではありません。子どもたちは、学びの場面において、先生やクラスの友だちの目にさらされることになります。人間関係において「先生や友だちは自分のことをどのように評価しているだろうか」という不安のなかにあるとき、もし、自分だけが授業の内容を理解できずについていけなくなったとしたら、どうでしょうか。友だちの目を気にするあまり、わからないことが恥ずかしくて先生に質問できないという子どもがあらわれても、何ら不思議ではありません。このように考えてくると、勉強に向き合えなくなった経緯を踏まえることなくやみくもに注意しても、逆効果であるのは想像に難くありません。
 そもそも「どうせやってもできない」という発言は、過去に取り組んで失敗した経験があるからこそのものであり、「勉強なんてやっても無駄」だと何のきっかけもなく考える子どもは少ないのです。
 集団教育は、自分とは異なる他者の存在を認め、尊重することを学ぶ場であると同時に、子どもが自分を他者と比較するなかで成長する場となります。そのため、集団で学ぶことのメリットは、自分が属する集団のなかに見つけたライバルに負けぬように努力するという状況が生まれやすいことですが、一方で、競争のなかで生じるストレスにさらされやすいというデメリットもあります。子どもたちの置かれたこのような状況を考えると、周りの大人が子どもたちと向き合うときの態度が見えてきます。
 まずは、子どもの発言を受け止め、認めてあげましょう。子どもにとって、親は甘える対象であって先生ではありません。自分の一部のような存在です。反抗的な態度をとることもあるかもしれませんが、ここで叱ってしまっては事態は好転しません。粘り強く、子どもの言葉が出てくるのを待つことが大切です。親は我が子の勉強を教えることに不向きであると言われることがありますが、それは、親は他の子と比較することなく我が子のみを対象としてしまうために我慢がきかず、すぐに感情的になりやすいからです。
 そして、勉強に対して投げやりになってしまった原因を子どもの口から言わせるようにしましょう。このとき、子どもの発言を大人が奪ってはいけません。必ず本人に言わせることで、問題に対する自覚をもたせましょう。子どもの抱えている問題がわかったら、解決に向けて何をしていくべきかを本人と話し合いましょう。単純に特定の問題がわからずにつまずいているのであれば、一緒に考えてみてもよいでしょう。(文/学林舎編集部)