2019.12.13

成長する思考力GTシリーズ算数の制作理由

□共通認識

 「成長する思考力GTシリーズ算数」がどのような構成でなされているかなどについては、実際に手にとって見ていただくのが最良だと思います。したがって、ここでは「成長する思考力GTシリーズ算数」がどのような考えのもとに制作されているのかについて、共通認識を構築するために、説明させていただきます。

□共通認識1 「算数・数学は役に立たない」か

 現在の算数・数学の有り様を最も象徴しているのは、反復形式の計算・公式習得型の教材だと思います。学林舎にも数学パターン集、数学到達度テスト集という反復形式の教材があります。公式を覚え、練習を積み重ねるタイプの教材は、テストという結果を重視してつくられた教材です。
今でも算数=計算という考え方が、算数学習においては中心です。そして、「学校で習う数学は社会にでてあまり役に立たない」という意見も未だ多くあります。それには、「算数は、日常生活でも使えるから」がくっついています。しかし、この場合でも、使えるのは計算に限られているようです。
「算数・数学は役に立たない」ということについて、学習現場ではほとんど扱われたことがないと思います。教える側も、教えられる側も、これについてほとんど考えたことがないまま、現在まできているといっても過言ではありません。
ここでの共通認識は「算数・数学を教えるのではなく、何のために算数・数学を学ぶ必要があるのかを考えさせる」ことといえます。

□共通認識2 「スキル学習」をどう考えるか

 スキル学習、たとえば「分数のわり算は、わる数の分母と分子をひっくりかえして、かけ算をする」というやり方を前提に、そのことを正しく操作できるかをテストします。そして、まちがえたら、ドリル練習をさせます。この反復学習の意味が問われています。大人から見れば、できないことをできるようにするという学習の流れから当たり前のことかもしれません。しかし、子どもたちにとっては「なぜ?この学習が必要なのか」「何のために算数・数学を学ぶのか」の根本的な学習目的、目標にはつながりません。これが2つめの共通認識です。

□共通認識3 「算数・数学の学習目標」

 英語において文法学習が不可欠なように、算数・数学においては計算学習は前提的に必要です。
しかし、学習空間において、「何を学ぶのか」ということは明確にしておく必要があります。たとえば、算数に九九の学習があります。これを、何ヶ月にもわたって、学習することは子どもにとっては浪費に近い感じがします。学校でも九九の練習をして、家庭でも宿題として唱えつづけることに多くの子どもは学習の意味を見いだしていません。
学校外学習、家庭学習では、これとはまったくちがった学習を集中して、継続して行ってはじめて、価値ある学習になると考えています。すなわち、「何のために算数・数学を学ぶのか」という内容のことです。ある大学の卒業の条件のひとつに「会計学をマスターしておくこと」があります。先見的な考えだと思います。現代では、数値をどう分析し、どう処理するのかは絶対不可欠なことです。それは大企業、中小企業を問いません。すべての経営において最重要課題といってもいいものだからです。そして、今回の学習指導要領改訂にともなって、文部科学省は算数・数学的表現力の指導を重視しています。その背景には、様々なデータを読み解く読解力、それを表現するための、論理力を求めています。算数、数学の中で統計という分野が今まではおろそかにされてきましたが、この統計の学びを見直すことを主としています。

 さて、算数・数学の学習目標ですが、次の3つが考えられます。この3つが成長する思考力GTシリーズ算数の構成になっています。

① 論理的思考力を身につける
「すじ道を立てて考える力」ということができます。算数・数学の文章問題では、いくつかの数値、あるいは条件が与えられています。これをどう組み合わせて、解答まで至りつくのかという学習です。これには、概念をどう理解しているのかということも付随してきます。たとえば、「平均」とか「不足」とかいう言葉の理解が問われます。

② 発想力を身につける
発想力を身につける根幹には、「与えられた条件を最大限に使う」、「何が本質かを見抜く」ということがあります。前者を例にすると、「与えられた条件」に不足しているものがないのかという「条件の不足」を発見するという学習が行われるでしょう。

③ 応用力を身につける
学問自体がかなりボーダレスの世界に入ってきています。数理言語学、数理心理学、数理社会学など「数理」が最初につく学問も多くあるようです。理系とか、文系といった分類自体が消失するのも間近と思われます。

 

学習の記録