2020.01.14

学力について考える

 私も含めて、大人たちの多くがわかっているようで捉えきれない問題に「学力」があります。世間では、「学力低下論」など「学力」に関する論議が盛んです。しかし、「学力」についての本質的・本格的な追究がなされているでしょうか。これに関してはきちんとした議論をしないといけないし、そのための文章も必要です。ここでは、「学力」に関する素描にとどめるにしても、そのイメージを明らかにしておきたいと思います。
 まず、前提的に触れておきます。「学力」について論じられていること自体、意味はあるのでしょうか。いま、「学力」と認識されているのは、「学校、資格という限定的な範囲での知識の有無」ではないでしょうか。
 よく、「大学生の学力が低下した」という理由としてあげられているのは、「小中で学習した基礎学習(分数の計算など)ができない」ということです。しかし、このことをもって学力低下といえるのでしょうか。この分数の計算を学習するのは、11才から12才にかけてです。それから、分数計算はほとんどやる機会はない子どもたちも多くいます。そんな中(約6年後)、いきなり、正答を求められても困るのではないでしょうか。学習当時「丸覚え」していたことを「丸忘れ」したに過ぎないのではないでしょうか。この前、友人たちと「分数とは何か」という議論になりました。その多くは、分数という概念を忘れていました。
 すなわち、解き方なりを覚えているということをもって「学力」とはいわないということではないでしょうか。覚えるためにした学習は必ず忘れるという因果関係しか生まれません。だとすると、「何のために覚えるのか」が、新しい「学力」定義付けの第一歩になるのではないでしょうかか。(文/学林舎 北岡)