2020.09.07

「話し言葉」「書き言葉」-表現力を育てる

なぜ?表現力なのか

○話し言葉

 言葉は、コミュニケーションに使われるものです。
従って、あることばを習得しているということは、そのことばを使ってコミュニケーションができるということを意味します。それは、母語であっても、母語以外の言語(第2言語)であっても、事情は変わらないということが様々な研究機関でわかってきています。ここで母語とは、人が、生まれて初めて学ぶ言語です。母語という用語には、「初めてのことばは、母によるものである」という考えが現れています。
 人は、未成熟な状態で人の社会に生まれ落ち、他者-ふつうは母親-に養育されることによって成長してゆきます。養育者は、自分が一番ここちよく表現できる言語で、新しく社会に出現した新参者であるわが子に語りかけながら、生きる知恵や文化の営みを伝えてゆくのです。養育者が語りかけることばは、養育者の考え方、養育者を取り巻く文化を表すとともに、一つの体系をなした言語であるという側面をもちます。子どもは、養育者の考え方、文化に浸ることによって、体系をなす一つの言語としての「母語」を学んでゆきます。
 子どもは、養育者にことばで語られながら、人としての営み、社会の営み、世界の現象など、生きる上で大切なことを学んでゆきます。子どもにとっては、世界の営みを学ぶことが、母語を学ぶことでもあります。人は生きる営みを通してまわりの他者から、一つの言語体系を、いわば自然に学びとってゆくのです。

 このように、母語の学びは、養育者の語りかけを聞くことからはじまるのです。子どもの世界は、母語で取り囲まれています。子どもは、養育者にとって、語りかけるべき必然性を備えた「頼りなげでかわいらしい」存在です。養育者は子どもの身体と一体化し、子どもの意味世界と共生して、言葉で語りかけながら生きる知恵を授けていきます。子どもは意味世界を表現する言葉を身体で感じ取り、母語を体系的に学びとってゆくのです。
 子どもは、母語の基礎的な体系を身につけると、自らことばを話しはじめます。いったん、自ら話しはじめるようになると、まわりのおとなもびっくりするような速さで、「コミュニケーション力」をつけてゆきます。子どもがコミュニケーション力を急速につけてゆくのは、この時期の子どもが、環境に興味を示し、環境に積極的に働きかけ、社会性を発達させてゆくことと大きな関係があります。養育者は、このころの子どものもつ積極性という心性を愛情で受けとめ、子どもの社会性の発達を支えながら、子どもに楽しい気分を起こすように話しかけます。そうすることによって、子どもの聞く力、話す力は着実に高まってゆくのです。
 言葉という伝達手段を手にした子どもは、ことばで他者に積極的に働きかける。子どもに言葉で働きかけられたまわりの他者は、言葉で子どもに応答します。こうして、子どもは、ことばに浸る環境を自ら創りだしてゆくことになります。言葉の環境に浸ることによって、子どもは聞いて分かるこ言葉(理解語彙)、および、自ら話せる言葉(使用語彙)を、相乗的に増やしてゆくのです。

 

学習現場からの声

○書き言葉

 子どもは話せるようになると、文字にも興味を持つようになります。
 さらに、文字が読めるようになると、文字を書くことにも興味を示すようになります。文字が読め、書けるようになるころ、人は内面の感情を表現するようになってきます。子どもが内面の感情を表現するようになるのは、子どものなかに、自分という意識が芽生えはじめていることを示しています。
自分という意識が芽生えるとともに、人は意識的な<学びの世界>へと入ってゆくことができるようになります。
 こうして、<書きことば>を知るようになると、人は自分の内面の感情を“しこり”として意識するようになるのです。これは、自分の内面の世界が確立しはじめたことを示しています。こうやって、人は、意識的な学びの世界へと入っていく準備が整います。さらに小学校に行くようになると、子どもを取り巻く世界は一変します。
それまでは養育者と一体化し、養育者の身体やこころを通して表現された世界に住んでいた子どもは、今度は、自分の身体を通して、世界を受けとめます。学校では、一人の「人間」、あるいは、一人の「社会人」として扱われます。それとともに、子どもの心のなかには、他者とは異なる「自分」という意識が生まれてきます。「自分」という意識が芽生える度合いに応じて、子どもは意識的に学ぶことができるようになるのです。
 小学校での学びは、すべてが「言葉の学び」であるといってもよいです。社会科では、社会現象のしくみを、理科では、自然現象のしくみを、それぞれ言葉を通して学びます。そして、言葉によって、世界を知り、人の考えを知り、人との関係を結ぶことができることを体験し、言葉の役割や意味を感じとるのです。言葉の大切さ、楽しさを感じとった子どもは、読む力をつけ、内容を読みとることができるようになります。こうして、子どもは、情報を読みとる力-リテラシー(文字言語処理力)-を発達させてゆくのです。

 人の知的操作の基本は、情報を読みとる力です。リテラシーが身についてゆくことは、知的操作、すなわち、情報間の関係を理解する「理解力」、情報の真偽を判断する「判断力」、さまざまな情報を組み合わせて、自己の視点から情報を創りだしていく「想像力」などがついてゆくことを意味するのです。

 

「話し言葉」「書き言葉」を子どもは段階的に身につけることによって、表現力=自己を磨いていくのです。大人も同じです。生きている限り「話し言葉」「書き言葉」を育てることによって、表現力は成長するのです。母語である日本語はもちろんのこと、英語も同じように「話し言葉」「書き言葉」を身に付けることによって、グローバル社会を生きるための最大の源泉になるのです。そんな社会はもう到来しているのです。(文/学林舎編集部)